半生菓子の歴史

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昭和20年代~30年代の菓子製造道具

明治40年頃、半生菓子の前身は京都に於いて、口物として生菓子あるいは焼菓子の片手間に試作程度に作られていた。大正期に入り菓子業者も増えはじめ、大正10年頃には菓子業界も益々競争を激しくさせていった。明治44年に第一回の全国菓子大品評会が開かれて以来、その名を「全国菓子大博覧会」と改称されたのもこの時期である。
更に昭和期に入ってはじめて菓子に対する製造規定が定められ、公定価格が決められた。この時、それまで「一口物」として扱われていたお菓子が全国的に「半生菓子」として統一されたのである。そして昭和29年の第13回全国菓子博覧会が京都で開かれた際に、「第7類半生菓子」として新しい部門を誕生させるに至ったのである。

このような変遷の中で飯田のお菓子業界も大きな変化を迎えた。江戸時代から始まったと言われる飯田の菓子づくりは、明治初期には駄菓子が、その後に至ってはムシ菓子が作られるようになり、その中で半生菓子は昔ながらの伝統を受け継ぎながら、戦後の高度成長期に開花し、特に注目すべきは昭和30年代「栗しぐれ」の大ヒットに伴い飯田の半生菓子のシェアは大きく伸びた。
半生菓子は優れた生菓子の味をそのままに、日持ちの良さや、手軽さを加えて高い生産技術により手軽な価格のお菓子として、現在も作り続けられ親しまれている。

【参考文献】飯田の商勢三百年/菓子の歴史と飯田・下